きちんと

 私の好きな言葉の一つに、「きちんと」と云うのがあります。
何も堅苦しい意味ではなく、毎日の暮らしがだらしなくならない様にと云うだけの事です。
島津の大伯母は背筋の伸びた尊敬出来る方でした。
少しも口喧しくなく、自然に行儀の良い方でしたが、訪ねて来て下さると、父母も私達も居住いを正したものです。
今でも紋付きの後ろ姿が彷彿と浮かんで参ります。
私も年を重ねて来て、理想はあの姿だなぁと、この処しきりに思います。
きちんと生きて行けば、後々大伯母様にそっくりの人だったと言って戴けるかしら。
その言葉が今一番嬉しい言葉かもしれません。
尤も、知っている人も数少なくなりましたが。
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不動明王

 今日は御不動様の日、28日です。
各寺院ー御不動様を御祀りしている御寺では、御前様が御護摩を焚かれて御祈願をなさいます。

 怖い顔をなさっていても、芯は誠に優しい佛様、大日如来の化身と云われ、身近に護りや示唆を感じる佛でございます。
この家で不動明王を御祀りし出して、ほぼ40年経ちます。
最初は色々洗い出しもありましたが、常に守って下さったと思っております。
外出して帰宅しますとホッと致しますが、そう云う雰囲気を作って下さる、結界の中で暮させて戴いていると、有り難く思っております。

 ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン

不思議なお役目

 何週間か足を向けない通りをたまに歩くと、急に変化していて驚く事が沢山あります。
アパートが無くなっていたり、ビルが突然閉鎖していて囲いが出来ていたりして、この5~6年でこの辺りは随分綺麗になりました。
そう云えば、前に住んでいた郊外の街も、私達が住み出して一年後位から次々と町を囲んでいる神社の建て替えが始まり、2年後には5つの神社が桧の香りも香しい美しい社殿となりました。
計画としては何年も前からあったものでしょうが、何も知らない私達は引かれる様にそう云う場所へ住まい始め綺麗に調った街に数年後、また別れる事を繰り返している様です。
閑古鳥が鳴く喫茶店に入ると、何となく満員になってしまいますし、多分その地に人を集めて差し上げるお役目を戴いているのかもしれません。
この辺りも昨年位からどんどん美しく整理されており、変化していて驚いております。

せめて大声で

 世の中、本当に高齢者が多いと思いました。
新宿まで出かける為、裏道を急いでいると、老女に声をかけられました。
「お若いからお達者に歩かれますね」と。
品の良い白髪の方でした。
オイオイ!と心の中で呟きました。
見れば私と同年輩、これからリハビリに行かれるとの事。
「何もする事がないから、そこでおしゃべりするのが楽しみで」
何もする事がないと云うのは良い事なのか悪い事なのか、幸せな御身分なのでしょうけれど、それも空しいなと思いました。
行き先の鍼灸院の前で、やはり同年輩の方が3人待っておられました。
どちらを見ても高齢者、駅に急ぎながら猫背を思い切り伸ばしてみました。
今日は「ビゼー」の歌を習います。
自分一人は仲間じゃないと思い込む事にして。

機械拒否

 コンピュータもいじらない、携帯電話も持たない、パスモも買わない、拒否して不便な生活をしている私ですが、と云って不便と思っている訳でもありません。
ナチュラルな生活をそのまま続けたいだけなのです。
あちこちで頂いたテレフォンカードも随分沢山ありますが、めっきり使わなくなりました。
どちらかと云えば効率を考えたりする方ですが、機械に振り回されるのが人間性、良い意味での人間臭をスポイルする様で、何か厭なのですよ。

 でも「電子辞書」は大変便利。
その膨大な記載量に驚き、色々楽しんでおります。
英語の意味を知りたくて文字を打ってみたら、英語で訳が出ましたので、オヤオヤまた英語の勉強だと思ってしまいました。
便利にはリスクもついて来るのですね。

和食

 中性脂肪を減らす為と一ヵ月程前からパン食をご飯に変えております。
海苔に納豆、梅干し、卵焼き、それにおみおつけとご飯。
昔懐しい食事なのですが、何十年も朝食はパン食にして来たので、ちょっと面倒な気もします。
でも、確実に結果が出て来てる様です。

 考えてみれば、パタートーストにスクランブルエッグ、ハムに牛乳と並べれば、絶対に過剰ですね。
白い湯気の立った御飯は、胡麻塩だけでも美味しく、噛めば口の中に香りが広がり、ああこれば朝食だと感じています。
南魚沼産のコシヒカリは、やはり土のせいか、水のせいか、本当に美味しいです。
ちょっと高価ですけれど、遊びに出る時間もなし、お酒も嗜みませんから、これ位の贅沢は許して戴けるでしょう。
半年後位を楽しみにしております。
それでも、時々トーストにバター、ブルーベリーのジャムが恋しくなります。

ある友の物語

 昔の事です。

 余命3ヵ月の重症結核と診断された友人は、婚家を去る事となりました。
商家に肺病の嫁は要らないと云う話を、世間体がある為に同じ病の男性患者と噂があると云うこじつけで離縁されたのです。
辛い思いをしている友人に、病院でその男性が励ましの言葉をかけたのを見ていた人が家人に告げ口をした結果でした。
男児一人も取り上げられ、友はどうせ長くは生きられないのだから仕方がないと諦め、実家に戻りました。
婚家に物申すと拳を振り上げていた友の兄も、やつれた顔を見て何も言えなかった様です。
上野駅に出迎えた私も泣きました。

 でも、その後は奇跡的に助かったのです。
同情した田舎の医師が、東京の医師に詳しい添書を送り、共同で治療してくれたからです。

 友は何も語りませんでしたが、こう云う想いは消える事はありません。
多分、私も同じ立場なら、一生忘れないでしょう。

人迷惑

 最近、この辺りに本当に沢山いたネコを見かけなくなりました。
近くで「猫屋敷」と呼ばれていたお家が全焼して、猫も多数死んだそうですが、そこの御夫婦は餌のない野良猫が気になったのか、毎夜自転車で廻って餌を与えていた様です。
その優しさも賛否両論で、火事の時もその話をしている人が多くありました。

 犬は恩義を忘れず、猫にはそんな思いはなく、自分の都合で寄って来ると云われますが、あの方達は心底優しかったのでしょう。
でも、臭いや、どこにでも入る習性や、次々と生れる小猫の数は、かなり嫌なものです。
余程節度を心得て世話をしないと、迷惑だと思います。

 社会に生きている限り、社会への配慮や節度、規律は持っていないと、礼節にも反しますね。

反省

 夫の命日が近づいて来ました。
流れた時間の長さをしみじみ思っております。
今日まで生きていたとしても平均寿命を少し越えた位なのに、早過ぎました。
末期の膵臓ガンだったなんて、不覚にも私は気がつきませんでした。
気づいた時は遅いとされる部位だそうですが、悔いが残っております。
死の2週間前まで内科医として診療に携わっていて、立派でした。
お陰様で私は毎日温かい人達に囲まれて、つつがなく毎日を過ごしております。

 新聞の死亡記事に膵臓ガンの為と書いてあると、会った事もない方でも霊前に手を合わせに行きたくなります。
昔は結核に罹ると死の宣告をされたと同様でしたが、ストレプトマイシン等の薬で怖くない様な気になったものです。(本当は今でも怖い病ですが)
早く癌も完治する病名になって欲しいと、切に願っております。

治癒能力

 靭帯を痛めて歩行困難になったのは、もう3年も前です。
もう癒らないかもしれないと悲観的になるような日もあり、また整形外科の限界を見たりして、自分なりの治療をして来ましたが、驚いた事に歩けるようになって来たのです。
これは、成晃の「気」の力が非常に大きいのですが、人間の治癒能力と云うものに驚いております。
幾つになっても甦る、治癒すると云う力が人間には備わっているのですから、無闇に薬を飲んで胃腸に負担をかけたりするよりも、自然の力ー気やマッサージも含めてーを信じたいと思います。
確かに加齢に伴う欠けて行く部分も成分もありますから、ある程度は補わなければいけませんが。
ちょっと嬉しい発見です。

 古い「新平家物語」や「宮本武蔵」等、吉川英治著の本がデンと本棚を占領しております。
夢中で読んだものですが、今は読む本が多く、時々この本をどう処分しよう等と考えます。
しかし、その度に思い出が甦り、又々本棚に戻してしまいます。

 以前、神保町の古本屋さんに一冊の本を探しに行った事があります。
中々なくて、もし入ったらと頼み、フッと棚を見ると家にもある「源氏物語」や「新潮文庫集」等が信じられない様な価格で並んでおりました。
売る人も、私の様に悩んだ挙句、根太が抜ける等の理由でお売りになったのでしょうか?
どうしたら良いものでしょうね?
もう一つ本棚を買うべきか、しかし狭い家、それも考えものですし。

やさしさ

 無闇に甘いのは優しさに入らないと考えております。
肌理細かく行き届いた想いがなければ、本当の優しさにはならないと思っておりますから、他人から頂く言葉にも静かな想いを感じないと嬉しくなくなりました。
ひねくれている訳ではなく、解ってしまうのです。
それも社交辞令の一つとして、世間の潤滑油と思えば気にする事もないのですけれど。

 年々、心の中が読めてしまう。
これは幸でしょうか、不幸でしょうか?
家業の為には何よりありがたい事、しかし個人としてはそれが胸に残ってしまう事もあり、眠れなくなったりも致します。
すべてを解って、その上で包んであげたい、それにはやはり心の動きが読めなければいけませんね。
結局、そう云う役目が与えられていると云う事でしょう。
優しい人間でありたいと、常に思っております。

 結婚式に白無垢の衣装を身に着けるのは、これからはどんな色にも染まります、貴方の希む色にと云う意味と、もう一つ私は真白な心で貴方を支えますと云う意があると聞いております。

 普段派手に目立っていたタレントが、現実の結婚式で白無垢を纏って現れた清潔な厳しい顔を見て、その素の顔を見た様に思いました。
白を纏うのはやはり特別の感があります。

 私の家に咲く紫陽花は「花言葉の浮気」と云う字の通り、様々の色が交じって美しいのですが、散歩をしていて真白な紫陽花を見つけ、暫く見とれてしまいました。
やはり白は良い、全ての白に惹かれます。
年齢を重ねて色々な経験もして来ましたが、もう一度原点の白に戻りたい、努めたいとしみじみ思ってしまいました。
我が青春に悔いあり・・・かな!?

祝福と心配

 親戚の結婚話に、笑ったり怒ったりしております。
御式など、心を込めて誓い合えば、何も大袈裟にしなくとも良いと私は思うのですが、御親族をお呼びして、家と家の結婚の様に考えてしまうと、まことに大変だと思います。
昔はそれが普通だったのですけど、今は二人の将来の為に最も良い方法で考えた方が良いと思っております。
尤も、家と家の交際を一番に考えるのなら別ですが。
また、披露宴が人脈作り等も兼ねてと云う場合もありますし、パフォーマンスが必要な世界もありましょう。

 幸い、地道に素直に育ったサラリーマンの結婚ですから、本当に心から祝ってやりたいと思っております。
大人しい赤ちゃんが、こう云う日を迎えるとはね。

 親達が騒ぎ過ぎ、出しゃばり過ぎて、汚点を残さぬ様願っております。
「沈黙の威厳」が何より親として必要かと思うのですが。

みどり

 緑の季節になるとホッとします。
日を浴びてキラキラと光る木の葉を見て、心が穏やかに明るくなって行くのを感じます。
でも、14日の岩手・宮城大震災で、メディアのヘリコプターが上空から捉えた奥羽山脈に沿った映像は、土砂崩れに緑が重なって誠に悲しい風景でした。
上空から見た東北は、本当に緑が一杯で、地上で見た建物群などほんの僅かに見えます。
大自然の中に人間は生きている事を改めて知りました。
復興が早く進みます様、心から祈っております。

 それにしても、天災は怖い。
せめて人災を起さぬ様、そして御先祖のお守りを戴ける様、誠実に明るく生きたいものと、切実に思っております。

 庭の紫陽花が満開になりました。
季節の到来を忘れず、ちゃんと美しく咲き、感動しております。

プロたる由縁

 どんな職業の方でも、プロと云われる人はそれぞれの哲学をお持ちです。
そう云う方達のお話を聞くのが好きです。

 暫く足が遠退いていた美容室に又行き始めました。
一寸足を痛めて近い所が良いと思い、他店に何ヵ月か行きましたが、「美は主観」の例え通り、美容師のやり方は色々で、正直に云えばもう一つピッタリ来なかったと云う事です。
一ヵ月に一回位の事ですから、遠くともそれも楽しみかもしれずと思い、又昔行っていた所に通い始めました。
新しく担当してくれた人は研究熱心で、毛髪の質から全てに目が届く様な、一寸珍しい理論家でした。
感性も豊かの様ですし、センスも悪くないと思いますが、何よりも基本的な常識をわきまえていて、不快な想いがありません。
見え透いた様な会話は苦手なので、変な社交辞令がなく気楽です。

 どの道も一人前になるのは大変。
又その上の本当のプロになるのは、大変な努力だと思います。

空白からの言葉(2)

 週刊誌の様に皇室の事を軽々しく申すべきではありませんが、皇太子・同后の御日常や公務を洩れ承るに、斉城にの一般社会を見る想いが致します。

 この20年程の若い人達が良く使う言葉、「私は個人の男性に嫁ぐのであって、その家に嫁ぐのではない」それに「私はパートナーであって、嫁ではない。平等です」
同じ生き方を希んでおられたのでしょうか?
苛めに遭って情緒不安定になられたのなら、現皇后への苛めは壮絶なものでした。
これは精神力の問題です。

 祭祀は天皇が日本全国民の徐災・招福を願って日々勤められるもの。
だから、代々の天皇は癌で亡くなる方が殆どなのです。
国民の憂いを一身に負われ、神に祈られる大切な祭祀は、皇族としての絶対のお務めなのです。
納得する、しないの問題ではないと思います。

 それにしても、現皇后の様な方は、もう現れないのではないでしょうか?

空白からの言葉(1)

 眼を閉じて雑念を消し、頭を空白にすると、思いがけない言葉が降って来ます。
誰かが言いたい事があって伝わって来るのでしょうか?

 昨日、国会で起きた事は今の政治家の思慮の浅さを露呈したように思います。
現首相は、前及び前々の首相が並べて落としたままでいる案件を、一つずつ小まめに処理しておられます。
前のお二方の様にカリスマ性はなく、地味で目立ちませんが、怜悧な頭脳と判断力をお持ちだと思って見ております。

 日本人はいつから派手なパフォーマンスに左右される様になったのでしょう?
案外それは、政治家の中だけの問題かも。
現首相に、時々古典落語家の様な間合いを感じて、今日本に必要なのは、こんな木綿の様な感触かなと思います。

 昔、パフォーマンスに躍らされて戦争が起き、沢山の人材を失いました。
日本人は本来、地道な積み重ねをして豊かになった国民だと思うのですが。

愚痴

 年齢を重ねれば、足腰が痛み易くとも仕方がない事です。
でも、それを他人に言っても又仕方のない事だとも思うのです。
自分の不調を訴えても何の解決にもならず、人格を心配させるだけだと思うのですが。
それを会話の潤滑油の様に扱い、長々と話をする方がおります。
私は少々斜めにものを見る癖があるかもしれませんが、つい下らない事だと思ってしまいます。
自分のプライバシーなど、絶対に話をする気にはなれませんし、自分の弱みを人に見せる事など、少しでもプライドがあったら出来ないと思います。

 人の愚痴は色々のお悩みがおありの上だと思いますから、親身になって伺いますし、自分が出来る事なら何でもしてあげたいと、無力のくせに思いますが、頑固者の私は今迄もこれからもこんな生き方だと思っております。
自分の身体の不調などは言葉にしても何のプラスにもならず、楽しい話題ではありませんね。

隔靴掻痒

 読んで字の如しで、靴の上から足を掻く様な歯がゆい想いが湧いています。
昔からそう気の長い方ではありませんが、この処イライラする事が多く、「何をやりたいの?」「何を言いたいの?」とつい口を出してしまいます。
こう云う思いは自分の身体にも悪いのですけれど、会話が成立しない状態が時々感じられて、「自分の言いたい事はハッキリ言いなさい。」「自分の言葉を持ちなさい。」と思ってしまいます。

 事に応じた返答をしていると自分でも思ってますし、家族も同様の意見を言いますから、自己満足でもないと思うのですが、今の30代40代が育った環境、過程を考えると、きちんと自己を統一、主張する術が身についていないのだなと、当時の教育や家族の中を探ってしまいます。

 でも、私共の処にお出でになる方は、ちゃんと「自分」を持っている人が多いし、目標を定めている、歩く過程のアドバイスを求める方も多く、希望を持っております。

江戸っ子

 友人に生粋の江戸っ子が二人おります。
歯切れの良い口調で、体調が良い時は本当に気持ちがシャンとしますが、ちょっと気分がすぐれない時は「あー、うるさい、もう少し小さい声で話してよ」と心の中で呟く程お元気です。
ヒとシがハッキリせず、独特の舌の使い方ですね。
基本的には明るくて、頭の回転が早くて、情があって、大好きな人達です。
浅草の「ちんや」とか、人形焼は「木村」が一番美味しいとか、裏通りのあれこれ、おせんべい屋さんの種類まで、まるで音楽の様に話してくれます。
まだ10年位の付き合いですが、出会いとは不思議なもの、双方でそう思って、粋なお蕎麦を食べながら、しっかり3時間喋りました。
ストレス、見事に解消です。

面白い一日でした

 今日は千種会の例会でした。
月一回ですから、久方振りに会った様な感じ、これは悪くありません。
今月は4名の新加入者があって、急に賑やかになりました。

 今月の話題は「もう一つあった東海道五十三次」。
何かのエピソードかと思ってましたらさにあらず、浮世絵の「安藤広重」と「司馬江漢」の比較、同じ場所を画いた二人の絵や日や時間の差等が話されて、とても面白いテーマでした。
司馬江漢、実は写楽なりの説もあり、これから少し調べてみたいテーマでもあります。

 銀座の街は相変らずの人出で、外国人の団体を何組も見て、東京は平和なのだなと実感しました。
何となく、今日は一日一日大切に生きて、きちんと色んな事を見たいと思った一日でした。

再び、千種会の事

 勘違いをしておりました。
私が月一回出席している歴史の勉強会「千種会」の仲間を、よく平均60歳の人達とザッザッと紹介しておりましたが、名簿を見てみれば中に40代の人もおり、20代の人もおりました。
定年以降、余った時間と歴史への興味で入会している人が多いのですが、若い方々も熱心です。

 室町時代以降の風俗、人間、武家社会、遊び等、あらゆる歴史を自分で勝手に調べて、みんなと話合う。
年一回はそれを会報にして、自分の歴史として保存する。
楽しい会です。
良かったら入られませんか?
会費1,500円、お茶お菓子付きです。
来月は校外研修で、国立劇場へ歌舞伎教室を観に行きます。
若くいられて、知識も深まるかもしれません。

老人に配慮の出来ない人達

 医学の進歩や栄養学の普及などから、平均寿命が延びているのでしょうか。
「人世五十年」と云われた時代から50年後の昨今では「人世八十年」となり、びっくりする程お元気な方が多くなりました。
でも、それを区切られて「後期高齢者」等と云う後がないぞと同意義の文字は誰でも怒ります。
みんな伊達に年を取ってはいません。
まして、今の70代後半、80代、90代の方は、第2次世界大戦で自分の青春を日本の為に捧げた方達です。
その後も一生懸命働いて、今の日本の繁栄をもたらした方々に、こんな名前のついた保険制度を強制的に押し付ける等、議会の品格、議員の人間性を疑います。
もう少し頭脳の本当に切れる、そして大きな人間は国会にいないのでしょうかね。
また、日本語は元々美しく、情緒のある言葉の筈、この頃とみに薄れている様に思います。

藤沢周平

 私の周辺には藤沢周平のファンが沢山おります。
もう亡くなって11年も経つのに、根強いファン達の想いが消える事はない様に思います。
私はそれ程、沢山の著書を読んでいるわけでもないのですが、亡くなってから私の中での評価は益々上って来ています。

 今日はそんな藤沢氏を偲んだ本「藤沢周平の世界」を読み返しました。
錚々たる現代文学作家達の周平評で、これも随分前に出版されたものですが、一作ずつ納得です。
信念とも云うべき生き方そのものだったかもしれない、手抜きのない、品格の著書を、また一冊ずつ読み返したいと思っています。

新聞

 以前、新聞の読み方として教えられた事、例えば「朝日新聞」なら「社説」を読み、「天声人語」を読めば、その日の記事を読まなくとも意図や出来事が分ると云われたのですが、最近改めてそう考えながら読んでみても、え?と思う事が多い。
論説委員の方の学識か、価値観か、視野か、心をうたれたり、なるほどと感じる事が日常的ではなくなって、ついつい35面36面あるページを読んでしまいます。
でも、色々な記事がありますから、私自身は朝読み、昼に読み、また夕方に見たりして楽しんでおります。
TVの番組などは、出来事だけではなく、人間模様、意見、人世の裏まで想像出来て、親切なお知らせにひと時社会勉強です。

短歌

 最近、お年を召した方の趣味の一つに俳句や川柳が良くあげられます。
俳句は短歌より意を伝えるのが難しくて、季語もさる事ながら中々情景が浮かぶ様な句は作れません。
五七五七七の短歌は、俳句の五七五より伝え易い様にも思いますが、私の好きな「若山牧水」や、残っている名句を読んでいると、ただ感心するのみの状態になります。

 皇室のおうたは万葉調で、とても解り易いので、素直な心で言葉を並べると「てふてふ」世代の技巧から作られたものより、ずっと人の心を打つ様に思います。
余計な事を考えず、庭に毎朝咲く露草の紫でも賞でてみましょうと、雨の日を幸い、座り込んでペンをとりました。
まだ出来ません。
「露草の・・・・です」

人間同志

 どう云う訳か、外出すると良くお年を召した方に声をかけられます。
家人は、又ナンパされたと笑いますが、私に隙があるのか、それとも話しかけても大丈夫と思われるのか解りませんが、注意すれば人の御縁は有り難いと思います。
永く生きて来た割には、一人で喫茶店にも入れない憶病者ですが、束の間の話の中にもその方の人世や行き方が垣間見られて、一刻穏やかな気分になります。
人世は大半が人との関わり合いですものね。

 良く人間関係で御相談を承りますが、十人十色、きちんと聞いてちゃんと答える習慣だけは必要だと感じます。
無視したり、拒否したりしても、結果は少しも良い様には出ませんから。

おついたち

 一日の朝は神棚を清掃し、米塩若水を新しく替え、お酒を供えてお榊の水々しい緑を飾ります。
毎月の事ながら、心が引き締まります。
蝋燭に火を灯し、八拍手を打って日頃の感謝を申し上げます。
もう6月なのですね。
長い間の習慣から、舌を噛みそうだった「祝詞」もスラスラ出て来ますし、神の光に包まれる様な感じがして落ち着きます。
この頃とみに神の空気と仏の空気の違いが解って来ました。
自覚しないだけだよと何年も前から成晃に言われて来たのですが、傘寿に近くなって漸く解ると云うのも、全く鈍いものです。
包まれて純白な考え方が持てたら、生きる甲斐があると云うものです。
今月末は夏越大祓、その早さに驚きます。

 府中には「大国魂神社」と云う大きな神社があります。
広くて気持ちの良い神社で、府中の護り神と云われておりますが、若葉の頃に詣でますと地面から榊の新芽が沢山出ております。
5~6年前、その一本を戴いて、庭に植えてみました。
神様の境内から戴いた木、ついてくれたら嬉しいなと思っておりましたら、願いが叶ってしっかり根付きました。
2mにも及ぶ立派な木になって、鬼門の方角を守ってくれております。
神のお恵みだと思っています。
榊や柊などの木が、その昔から魔を妨ると云われるのは、何か理由があるから伝えれているので、他の諺と同様に大切にして行きたいと思います。
プロフィール

彌叡

Author:彌叡
神の別魂を持つと言われて幾年。 神ながらの道を歩きつつ、思う事、感じる事を書いて行きます。
御相談はAdept・Mentor 島津相談室のHPの方からお願いします

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